人生について真面目に考えてみる

キャリアや人生について考えてみるための、個人的なブログ

今までの半生を振り返る。②

半生を振り返るなんて普通に生きていたら、学校の宿題か就活の時しかしないだろう。人生を振り返るのはなんだか恥ずかしい気がするし、嫌なことばかり覚えているものだから、自分の人生がいかにダメだったかを再確認するだけなのではないかという気持ちになる。でも、実際のところは解釈次第で過去の見方は変わるのだ。

 

こうして振り返っていくことで、自分の今までの人生に新しい意味を発見していく。前々回の記事から行っていることは、それが目的である。

 

大学生時代

 

初めのころは大学が大嫌いだった。人との関わりが急激に薄くなった。ずっと一緒にいるクラスがあるわけでもなく、テニスサークルを覗いたりしたが、飲み会で一気飲みのコールが嫌で、結局入らなかった。明らかにコールは危険で人道に反しているのに、それを文化としている雰囲気が嫌だったのだ。その結果、大学5年間(1年留年した)でできた友達は、英会話の授業でできたR君とMさんだけだった。

 

さらに言うなら、高校3年間片思いしていた子に卒業後玉砕覚悟で告白して、順当に玉砕してしまったため、なんだか卑屈な気持ちになっていた。

 

授業は気が向いた時だけ出て、大学まで行っても授業に出ずに小説を適当にベンチで読んで、帰ってきたりした。経済学には興味なかったけれど、数学はパズルみたいで好きだったし、やっているうちに理解できたからそれなりには勉強した。

 

それよりも、このときは小説を読むのが自分の使命だと思っていたので、読書中のみが唯一充実感を得ている時間だった。

 

村上春樹に一番はまっていた。あの独特のあきらめの感性や、それでも決して暗くはならないところ、自分は自分、他人は他人という考え方が好きだった。ノルウェイの森羊をめぐる冒険は何回も読み直した。

 

その影響でスガシカオにもハマった。不満やあきらめを表現する歌詞が好きだった。きれいごとではない人生を、ギザギザしたような表現で不器用に表現しているのが、かっこいいと感じた。

 

何より、2人とも周りに惑わされず、自分の生き方や感性を貫いていることに憧れた。

 

そんなわけで、大学生活は孤独との闘い、というのがテーマだった。高校生時代は仲間に囲まれた充実した生活だったこともあって、そこからの落差で苦しんでいた。

 

最終的にはR君とMさんと毎週飲みに行くようになって、徐々に孤独感は和らいでいった。来週もまた会える、楽しい時間が待っているという気持ちが大事なのだ。

 

このころはアルバイトにも挑戦した。1年の夏休みから東急ハンズのレジ打ちを半年ほどした。くそ忙しいうえに、手続きやルールが複雑で、1円やら10円やら100円ぐらいずれていたってそれがどうした、と思ってしまう僕はすぐに仕事が嫌いになってしまった。

 

そのあとは近所の中学生を相手に家庭教師をしていた。4年生の時は塾で集団授業の講師もした。どんな教材を選べばいいか、何をどうやって教えようか考えるのは楽しかった。問題はあんまり自分に自信がないため、本当に自分が教えらえるようなことがあるのだろうかという考えがちらつくこと、子供に慣れていないため、どう接していいかがわからないことだ。

 

それでも、一番リラックスしてできたのはこのバイトだった。勉強を教えるということを媒介に、子供たちと利害のないコミュニケーションをとるのは楽しいことだった。それでテストで点数が上がったりすると、自分の知識がその子の人生の役に立てた気がして、嬉しかった。

 

高校から大学への環境の変化についていけず、孤独に苦しみながらも、それによって独自の感性を持つことのかっこよさに気づくことができた。また、自分の得意不得意を少し理解し、人に知識を伝えることの充実感を知ることができた。これが僕の人生の奈落である大学生活であった。