人生について真面目に考えてみる

キャリアや人生について考えてみるための、個人的なブログ

今までの半生を振り返る。④

退職後からは簿記の勉強と、トロントへの留学と、今の商社生活と続きます。商社だけは堅苦しい体育会系の雰囲気が合わないものの、他は楽しいことばかりだった。

 

簿記2級に落ちたのが理由でクビになったのが納得いかず、改めて勉強することにした。実際集中して勉強すれば大したことはなかった。ペーパーテストは得意なのだ。

 

無事に合格して、そのまま経理になろうかと思った。組織の中枢に入れると思ったから、ダイナミックな動きを感じられると思ったのだ。

 

結局、ある印刷会社で内々定まではいったものの、休みが少なかったり、調べたらブラック企業ぽい様子だったので、やめた。

 

無職期間は独特の辛さがあった。平日の昼間というだけで、街を歩いていても、買い物をしていても、犬の散歩をしていても、なんだか周りに無職であることを大声で教えて回ったいるような気がした。この時に経済的に自立しよう、親に頼らないでも生活できるようになろうと強く思った。

 

なかなか他にいい会社もなく、無職期間が9ヶ月を超えてきたことや、無職期間の辛さも相まって、すごい焦りを感じた。視点を変えて営業もやり直すことを考えて、求人を探した。

 

今の会社の求人を見つけたのはその時のことである。

 

仕事の内容は多分前の会社とほとんど同じだろうと予想できたし、実際近いものがあった。いわゆるルート営業。既存のお客さんを回って、御用聞きが主な仕事だ。前回は9ヶ月で辞めてしまったし、改めて長期的な人間関係を築く勉強をするのもいいかと思い、応募することにした。大学生活、無職期間と、孤独に悩まされた経験が多かったため、営業の仕事はショック療法になるかと思ったのだ。

 

面接では2人に面談したが、明らかに他の会社より、ゆるい人たちが出てきたので、ゆるい会社なんだろうと思った。実際ゆるい部分と、そのしわ寄せがきている部分とがあった。詳しくは次回に続く。

尊敬する人は?

尊敬する人は?と聞かれて、思いつくのは、大体が自分の人生を自由に生きている人たちである。知りたいことを知り、やりたいことをやり、自らの仕事に誇りを持っている人たちである。周りの目を気にしてばかりの僕には、まだ手の届かない、高いところにいる人たちなのでうる。

 

村上春樹

29歳までバーを経営、その後野球観戦中に小説を書こうと思いたち、小説家になってしまったという。世の中のいわゆるレールとやらを完全無視しているように思える人。他の作家と明らかに違う感性と表現力を発揮している。ハードボイルドな世の中の見方をしている、かっこいい哲学の持ち主だ。

 

☆Uさん

最近知り合った、趣味のインストラクター。他の店ともちょっと違う、独自の人脈で仕入れやツアーを確保し、ショップを経営している。そういう、独自の道を行っている人がかっこいいんだなー。

 

☆Sさん

取引先のオッチャン。趣味と仕事の実益が一致している、いわゆるバブル世代の代表サンプルみたいな人。人付き合いの仕方、仕事の仕方が、独自の銀座での人脈を使ったやり方。サラリーマンだけど我が道を往く感じで、羨ましい。

 

フェデラー

史上最高のテニスプレイヤー。動きの細部まで無駄のない美しいプレー。あの域まで達するのにどれだけ練習したのだろう。極めるということがどういうことかをフェデラーのプレーに見ることができる。

 

とりあえずこんなところか。本当は、人のことを本気で考えられる人を尊敬したいのだが、まだそんな人は見つかってない。思いついたら、また追加していく。

今までの半生を振り返る。③

いよいよ社会人生活を振り返っていく。一般的にキャリアを考えるときには仕事のスキルや経験を棚卸することが多いから、社会人になってからのことに注目することが多い。僕としては本来の価値観を思い出していく作業が必要と思って、あえて子供時代から振り返ってきた。

 

総括すると、小数でもいいから人と深く関わっていきたい、何かを伝えたり教えたりして、その人の人生を幸せにする役に立ちたい、と感じてきたことが大学生までの経験からわかった。それを踏まえたうえで社会人ライフを再度見つめなおしてみたい。

 

N社時代

 

良くも悪くも一生忘れることがないであろう、ワンマンの会社だ。新卒で入って、入社式の日に首になった人もいたらしい。プッツンな社長と、それに振り回される優秀な社員たち。僕にとってのすべらない話である。

 

当時は僕は営業を志望した。コミュニケーションを取ることを仕事にしたいと思ったのだ。その上、どうせやるなら最前線でやりたい、社会人としてのマナーやらビジネスの一般常識を身に着けたい、ならば営業がベストだろうと考えたのだ。

 

そうして一般常識とはかけ離れた会社に入社した。

 

工場で2週間ほど泊まり込みで研修をした。大卒以上の同期は12,3人いたので合宿みたいで非常に楽しかった、みんなで頑張っていこうと思ったのをよく覚えている。全員ホテルで泊まり、商品の製造工程を見て回ったり、実際にテーブル上で製造してみたり、マナー研修を受けたりした。終わった後は近くのラウンドワンに遊びに行ったりした。

 

その途中で2つの営業部の部長、2つの営業所長が懲戒解雇になった。

 

よく考えてみれば、面接のときに異常な怒鳴り声が聞こえてきたり、君を取れなかったら横の人事の彼が首になるからね、あはは、など、兆候は色んな所に出ていた。ただ、学生から社会人になったばかりの僕はそれが普通なんだと思っていた。

 

研修が終わった後も、工場の現場に勉強のために配属され、2か月間3交代でラインに入った。結構決まったルーチン作業を黙々とこなしていくのは得意だった。

 

その後営業に配属された。すぐに担当を持たされ、お客さん回りをした。どうしていいかわからなくて、とにかくアポを取って、何にも話すネタがないまま駆け回った。そういう度胸は結構あったみたい。自分のせいではなく、会社が悪いんだから勘弁しといて、という気持ちがあったのは否めないが。

 

ただ、担当を持った上に教えてくれる人がいなかったため、はっきり言って大変だった。同時に簿記の勉強もするように言われていたが、そっちには全然手が回らなかった。1点集中しかできず平行作業は苦手だったのだ。

 

そのせいで簿記に落ちて、会社を首になってしまうことになる。

 

実際は、毎週のノルマが異常にプレッシャーになっていたため、もう二度と戻りたくないとは思うが、対社長戦線のおかげか、みんな仲が良かったのはすごく楽しかった。関係もフラットだったし気を使わなかった。そういう意味ではもし首になっていなかったら続けていたかもしれない。結構人間関係には気を使ってしまうほうなのだ。

今までの半生を振り返る。②

半生を振り返るなんて普通に生きていたら、学校の宿題か就活の時しかしないだろう。人生を振り返るのはなんだか恥ずかしい気がするし、嫌なことばかり覚えているものだから、自分の人生がいかにダメだったかを再確認するだけなのではないかという気持ちになる。でも、実際のところは解釈次第で過去の見方は変わるのだ。

 

こうして振り返っていくことで、自分の今までの人生に新しい意味を発見していく。前々回の記事から行っていることは、それが目的である。

 

大学生時代

 

初めのころは大学が大嫌いだった。人との関わりが急激に薄くなった。ずっと一緒にいるクラスがあるわけでもなく、テニスサークルを覗いたりしたが、飲み会で一気飲みのコールが嫌で、結局入らなかった。明らかにコールは危険で人道に反しているのに、それを文化としている雰囲気が嫌だったのだ。その結果、大学5年間(1年留年した)でできた友達は、英会話の授業でできたR君とMさんだけだった。

 

さらに言うなら、高校3年間片思いしていた子に卒業後玉砕覚悟で告白して、順当に玉砕してしまったため、なんだか卑屈な気持ちになっていた。

 

授業は気が向いた時だけ出て、大学まで行っても授業に出ずに小説を適当にベンチで読んで、帰ってきたりした。経済学には興味なかったけれど、数学はパズルみたいで好きだったし、やっているうちに理解できたからそれなりには勉強した。

 

それよりも、このときは小説を読むのが自分の使命だと思っていたので、読書中のみが唯一充実感を得ている時間だった。

 

村上春樹に一番はまっていた。あの独特のあきらめの感性や、それでも決して暗くはならないところ、自分は自分、他人は他人という考え方が好きだった。ノルウェイの森羊をめぐる冒険は何回も読み直した。

 

その影響でスガシカオにもハマった。不満やあきらめを表現する歌詞が好きだった。きれいごとではない人生を、ギザギザしたような表現で不器用に表現しているのが、かっこいいと感じた。

 

何より、2人とも周りに惑わされず、自分の生き方や感性を貫いていることに憧れた。

 

そんなわけで、大学生活は孤独との闘い、というのがテーマだった。高校生時代は仲間に囲まれた充実した生活だったこともあって、そこからの落差で苦しんでいた。

 

最終的にはR君とMさんと毎週飲みに行くようになって、徐々に孤独感は和らいでいった。来週もまた会える、楽しい時間が待っているという気持ちが大事なのだ。

 

このころはアルバイトにも挑戦した。1年の夏休みから東急ハンズのレジ打ちを半年ほどした。くそ忙しいうえに、手続きやルールが複雑で、1円やら10円やら100円ぐらいずれていたってそれがどうした、と思ってしまう僕はすぐに仕事が嫌いになってしまった。

 

そのあとは近所の中学生を相手に家庭教師をしていた。4年生の時は塾で集団授業の講師もした。どんな教材を選べばいいか、何をどうやって教えようか考えるのは楽しかった。問題はあんまり自分に自信がないため、本当に自分が教えらえるようなことがあるのだろうかという考えがちらつくこと、子供に慣れていないため、どう接していいかがわからないことだ。

 

それでも、一番リラックスしてできたのはこのバイトだった。勉強を教えるということを媒介に、子供たちと利害のないコミュニケーションをとるのは楽しいことだった。それでテストで点数が上がったりすると、自分の知識がその子の人生の役に立てた気がして、嬉しかった。

 

高校から大学への環境の変化についていけず、孤独に苦しみながらも、それによって独自の感性を持つことのかっこよさに気づくことができた。また、自分の得意不得意を少し理解し、人に知識を伝えることの充実感を知ることができた。これが僕の人生の奈落である大学生活であった。

理想の生き方とは。

転職の時に考えなくてはいけないことはたくさんある。自分の適性や性格、望むライフスタイル、お金はどの程度必要か。職種はどうするか。何の業界に興味があるかなどなど、あらゆる角度からの検討が必要である。

 

前回の記事で高校生時代までを振り返ることをし、自分の適応力や意外と社交的なところ、近い価値観の仲間を強く求めていることを確認した。まだ途中ではあるが、ここで一回気分転換を兼ねて自分が何を望んでいるのかを現時点で思いつく限り書いてみようと思う。

 

1、気の置けない仲間と毎日を過ごす。

ストレスの90%は人間関係からくるといわれている。言ってしまえばビジネスはほとんどが人間関係にエネルギーを費やすことになる。これをいかに楽にするかが人生のエネルギーをより重要なことに回すことにつながる。上下関係は集団ができる以上必ず存在するが、強弱は場所によって違う。商社ははっきり言ってめちゃくちゃ強い。

 

2、自由時間がほしい。

もっとプライベートに使う時間を増やしたい。テニスをしたいしスキューバダイビングももっとしたい。デートもしたいし、飲みに行きたい。仕事に人生を費やすのもいいけれど、結局は自分が興味あることをしていかないと、人生は楽しめない。よって、時間当たりの生産性が高い仕事をして、時間ももっと自由に使えるようにする。

 

3、もっと稼ぎたい。

もっと頑張ったらその分の金が入ってくる仕事をしたい。頑張っても頑張らなくても同じ給料。そんなのやってられない。稼いで、いい服を買って、遊びまくってみたい。

⇒服や遊びの金があれば、後はそんなにいらないかも。

 

4、誰かの人生を変えるような、そんな仕事をしたい。

キャリアや人の心理に興味がある。世の中はあまりにも理不尽で硬直的だ。それを解消する手伝いをしたいと思う。世の中全体を変えなくてもいい。誰かを心の底から幸せにできたら、こんなに有意義な仕事はない。そして、幸せになれないほとんどの原因は準備ができていないまま社会に放り出されることではないかと思う。自分をよく理解して、みんながポジティブな気持ちでモチベーションをもって行動できるようになれば、大体の問題は解決するはず。

 

5、世界をもっと知りたい。

外国の人と英語で会話するのは楽しい。文化が違うんだということをまざまざと感じる。学んだ英語で意思疎通ができているのがうれしい。大体の場合において、海外の人のほうが人生に対する考え方が自由で、しっかりしている気がする。あらゆることに対して、自分の責任で取り組むんだという気持ちが感じられる。それ以外にも、芸術や価値観は大体が輸入品だったんだというのがわかる。本物は日本にはない。日本は流れに乗るだけだからだ。

 

 

 

 

今までの半生を振り返る。

なんだか就活の自己分析みたいなブログになりそうだけど、ご勘弁願います。

 

いままで新卒での就活時、転職時と2回ほど自己分析本を買って質問に答えていく形で自分のことを振り返ってみたことはあるけれど、結局こうしてキャリアに悩んでいる。たぶん義務的に、おざなりに書いてたからだと思う。ブログのタイトル通り、真面目に考えてみようと思う。

 

子供時代(小学生)

 

基本的には仲の良かったK君やS兄弟と、外で遊ぶのが楽しかった。

ゲームも好きで、RPG格闘ゲームなんかは良くやってた。

あんまりクラスで目立つほうではなかったし、服にも興味がなくて、ゲームで強くなることや読書で空想に浸ることがすべてだった気がする。

将来の夢はノーベル賞を取ることだった。

 

一人で家で過ごすのが苦痛だったから、たぶん部屋で籠っているより、誰かと遊んでいるほうが楽しい社交的な性格だったんだと思う。意外とみんなと仲良くできてたし、勉強は得意だったから、学校に苦手意識もなかった。

 

5,6年生の時にI先生が担任になって、異常に厳しいけど教師であることに真剣な先生に当たった。この時は勉強も頑張ったし、文章を褒められたことがすごくうれしかったのを覚えている。将来は文学系に進むかと思ったと、大学生の時に言われて、よっぽど人と違う作文を書いていたんだと、すごく自信になった。

 

中学生時代

 

中学での主な思い出は、バスケ部を体験入部してすぐ辞めたこと、学習塾で受験勉強を地道にやってたこと、だいたいKとゲームして遊んでたことぐらい。途中でSという変わったやつが転入してきてよく遊んだ。やっぱり意外と適応力があるんだろうな。

 

そんなに当時は運動で必死になる理由が分からなかったから夏前に体験でバスケ部を覗いて、夏休みがほとんど練習になっていたのを見たときは「これはもう無理だ」とすぐ辞めた。そんなことしてるより友達とのんびり遊んでいるほうがずっといいと思った。先輩後輩みたいな上下関係も嫌だったから避けたかった。

 

勉強は学年で上位に普通に入れたし、得意だったから結構楽しかった。

意外と一番平穏で安定して過ごしていたのが中学生時代だったかもしれない。

 

高校時代

 

間違いなく今のところの人生の黄金時代。全てが楽しかった。

希望していた高校に入れたし、自由な校風、先輩風吹かす奴もおらず、クラスのみんなが仲良しで、テニスを習ってみたり、文化祭の運営組織に入ってみたり、恋をしたりで毎日が輝いていた気がする。

 

クラスの奴らとテニススクールに通っていたけれど、ぶっちゃけ一番うまくなったと思う。負けず嫌いなところがあり、しかも一度はまると一つのことしか見えなくなるところがあるから、3年間ずっとテニスのことばっかり考えていた。運動も苦手ではなかったし、どんどん上達していくのが嬉しくて、楽しかった。

 

部活には最初から入らなかった。テニススクールがその代わりだったのもあるし、放課後まで練習で時間を取られるのが好きじゃなかった。中学のバスケ部の時のイメージが強かったのかもしれない。せっかく手に入れた自由を手放したくなかった。

 

文化祭の時はあんまり積極的に仕切ったりすることはできなかったが、空き缶アートを作るのはすごく楽しかった。目標を与えられて、具体的な手段が見えているときの集中力はなかなかのものだと思う。

 

恋に関しては、完全に臆病で、これは今も変わってないけれど、ほとんど何にもできなかった。遠くから見ているだけ。告白するなんて、リスクが高すぎて絶対無理、と思ってた。卒業してから思い切ってしてみたけれど、これはもう会うこともないし、捨て鉢な気持ちで、やけになってやってしまったという感じだ。

 

基本的には安定志向なんだと思う。自分の内面や価値観を傷つけられるようなことを恐れて、安全なところからしか行動できない。ベースの性格は事なかれ主義なのかもしれない。

 

何がそんなに楽しかったんだろう?とよく思う。

地元の友達とは違う、都会っぽい友達。何をしても許される雰囲気。クラスでは穏やかな人たちが多く、勉強もみんな自分と同じぐらいできるから変に気を使わなくてもいいし、すごく自然体でいられた。自分はこのグループの一員なんだという感じが強く感じられた。ここが自分の居場所なんだと思えた。

 

たぶん、その感じこそがカギなんだと思う。自然で、帰属意識が感じられるグループにいること。次に求めるべきはそれなんだと思う。

人生について真面目に考えてみます。

なんとなく就職して、それなりに仕事をこなせるようになり、いつの間にか30歳をもうすぐ迎えようとしている。多くの人が同じような気持ちを経験しているのではないだろうか。世の中にはある程度人生の「型」みたいなものがあり、進学、就職とルートを辿っていく。


僕自身はある事情で一度会社を辞め、留学してみたり、簿記の試験を受けたりしたものの、結局元と同じ営業職についている。無職で親のお金で生活していることや、自分で自由にお金を使えないことに強い罪悪感や焦りを覚えたため、最初に内定が出た会社に就職したのだ。


でも、最近では他にもっと良い道があったのではないかという疑問が、働いている時も、朝食を食べている時も、寝るために布団に入っている時ですら頭をぐるぐると駆け回っている。会社のいいなりになって転勤させられたり、値上げやら取引条件を伸ばさないようにする交渉やら、世の中の役に立たない仕事ばかり。社内の資料作りばかりで疲弊して、自分がなんのためにこの仕事をしているのかもう分からなくなってしまっている。


だから、転職も視野に入れて、これを機に真面目に、真剣に、自由な発想でキャリアについて、強いては人生について考え直してみたい。このブログは人に読んでもらうためではなく、自分が気持ちや考えを整理するために書く。